三連休に:四日目

2018年12月11日 日常
やっぱり仕事は嫌いだ。
別に楽しいわけではないし、
社長は相変わらず機嫌が読めない。

月曜日はいつも憂鬱だ。

客先ではニコニコしていなきゃいけないし、
若い者だからって下に見る人でも相手をしなくてはいけない。
数字は作らなきゃいけないし、雑用だってやらなきゃいけない。

心は苦しくなるし、朝は辛い。
ソシャゲの一言コメントですらつい自分を鼓舞する言葉になる。
休日が終わってみれば、スマホにしか日本語話してないなってなる。

仕事が楽しくなる瞬間ってあるのだろうか。

営業先に向かう車の社長の隣の席でカバンを抱えながら、
ふとそう思う。

ゴールにシュートが入るような快感とか、
拍手喝采を浴びるような鳥肌とか、
そういう感覚に似ているのだろうか。

苦しいな、とか辛いな、とか
そんな感情ばかりなのだけれど。
もし社会人の大半がそんな感じだったとして、
彼らは、彼女らは、どんな瞬間のためにやっているのだろうか。

答えを急いではいけないのは分かっているし、
答えだけを手に入れても意味がないのは理解しているし、
答えなんてしばらく手に入らないのも熟知している。
それでも答えが知りたいと思う。

社長に聞いてみたいのだ。
「楽しい瞬間はどこだったのか」と。
誰かに教えてもらいたいのだ。
「楽しい瞬間はあるのか」と。
そして答えてもらいたいのだ。
「そんなものはなかった」と。

そうでなければ勇気が出ないのかもしれない。
今から逃げ出すことに。

昔から。
そう…とても昔から。
あまり他人には言わないが、
「誇っていること」が2つだけある。

1つは自分の名前をつけてもらったこと。
名前の漢字に心という文字が2つも入っていること。
自分の名前がとても好きだ。
名前の由来を聞いても、両親はちゃんと答えてはくれない。
それでも好きだ。
加えて言うのであれば、
そのうちの一文字が姉の名前の一文字でもあること。
きっと自分の心と、他の人の心を解るようにと。
つけてくれたのかなと思っている。ありがとう。

もう1つはずっと恵まれた環境であること。
学力以外の問題は全部クリアされてきた人生だった。
お金の問題に悩むこともなく勉強ができていた。
大きな病気もなく、それでいて人間関係に恵まれた。
友人に、先輩に、先生に、彼女に。
みんな良い人達だったし、
別にそんな世界だけを特別好んで生きていたわけではないのだけれど。
いつだって終わってみれば、
「良い人達だった」「いい環境だった」「いい経験だった」と
総括できてしまうような環境と人間。
なんとなくいい感じに終わらせる動きをしていたのかもしれないけれど。

今はそんな環境の途中にいるのだろうか。
あとで「いい経験だった」と振り返れる道程の途中なのだろうか。

本当かな。
最近はいつもギリギリだと思うし。
心はいつも最大値が減っている気がする。

何をすればいいのか。
何を知って、何を答えとするのか。
あと何歩で答えで、あと何時間で終わりなのか。

いつだって欲しいのは、
そんな心になにもない時間を埋める、
勇気を紡ぐ旋律なのだ。

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